藤本 樹
職種:福祉活動専門員
海士町との出会い:HPの採用情報を見て
社協への入職:1年目
(2024年4月現在)
気づいたら飛び込んでいた
「福祉」の世界
「たつき、将来なにやりたいんだ?」
蝉の声であふれる暑い夏、四方八方田んぼに囲まれたど田舎の高校。
そんな教室の片隅で、三者面談中に担任から問われた一言でした。
「小学校の先生?でもピアノの試験あるらしいしなぁ…消防士!かっこいいし」
「グロテスクなのダメでしょ?そんな場面もあるよ」と母ちゃん
「さすが!俺無理だ えーどうしよう…」
子どもと関わりたい、人の役に立つ仕事がしたい、そんな漠然とした想いはあったものの、「具体的な仕事」と聞かれるとよく分からなかった。
そんな私が福祉の道を目指すきっかけになったのは、たまたま家で録画していた「ドン★キホーテ*」というドラマでした。「任侠集団の親分」と「ひ弱な児童相談所職員」の魂が入れ替わってしまうというストーリー。普段、影響されにくいタイプの人間だったはずが、気づいたときには「社会福祉」を学ぶ大学へ進学を決めていました。
*Huluで絶賛配信中
目に見えぬところに光を当てる
大学で4年間「社会福祉」を学び、福祉系の仕事に就くかと思いきや、就職で選んだのは「青少年教育」の道でした。とにかく子どもと関わるのが大好きで、大学で「子どもたちと遊び尽くす生活」を続けていたら、その世界に興味が湧いてきてしまったんです。その後、全国の施設で、子どもたちに自然体験を提供する仕事(登山したり、船漕いだり、五右衛門風呂焚いたり、外でカレー作ったりする仕事)に就きました。
子どもたちに自然体験を提供する、そんな日々を過ごしている時、ふと思ったんです。
いま、目の前で元気にはしゃいでいるこの子たちは、放っておいても立派に元気に育っていくんじゃないか。自分が本当に出会うべき子どもは、表に出てこられない、そもそも情報も届かない、もっと言うと、そんな余裕すらない、いわば「目に見えぬ苦労人」なのではないかと。
そこから、「より深いところ」「より見えない(見えにくい)」世界に関わりたいと思うようになり、「離島」「地域福祉」で検索(海が好きなので「離島」は必須)。そこに何か面白そうな「海士町社協」がヒットしたんです。事務局長に電話で直談判すると、なんだかめちゃくちゃノリがいい(あれ?おれこの方と友達だったっけ?)。
そこからはとんとん拍子で話は進み、意識が戻った頃には海士町社会福祉協議会の地域福祉部の席に座っていました(笑
みんなが笑って暮らせる社会を目指して
前職が教育関係だったこともあり、いまは「福祉教育」の仕事を任せてもらっています。
「福祉は正しいけど、楽しくない」
ある日の研修で聞いた言葉、すごく的を射ていると感じました。
楽しくないと興味すら湧かない。
興味が湧かないと次世代に繋がらない。
繋がらないと続かない。
それはやばい。
じゃあ楽しくやろうよ。
そんな想いで、笑って学べるような福祉教育を心がけています。
「みんなが笑って暮らせる社会を目指す」この仕事をするうえでの一つの目標です。
簡単には達成できない目標ですが、だからこそ考えるし、失敗もする。それがまた面白い。
この島の約2,200人の笑い声が、海を越えて本土にまで届くような、そんな地域づくりができたら最高ですよね。
「なんだこれ!?」ばかりの島暮らし
地元が青森ということもあり、「まあおれも田舎者だし、島暮らしなんて余裕だろ」なんて思っていましたが、その余裕はいい意味で儚く散っていきました。
「黙っていても野菜や魚が届く日々」
「寝坊厳禁の早朝清掃」
「演歌だらけのカラオケ大会(何歌えばええねん)」
「多すぎるイベント・祭り」
「とにかく飲みたい直会(飲み会)文化」などなど、
プライベートでも地域の中をぐるぐる目が回る。
「こんなん、青森ではなかったぞ。おれが知っている青森はもしや都会だったのか!?」
なんてことを考える日々です。笑
忘れかけていた「人との繋がり」
一緒に守っていきませんか?
どこの誰か興味もない。何かあっても見ないふり、知らんふり。
自分には関係ない、関わりたくもない。ほっといてくれ。
ちょっと過度な表現かもしれませんが、いまの社会ってそんな風になってきている気がします。
この島は、真逆。
「あんたどこの誰かいね?」から始まる、人との繋がり。
人として生きるうえでの「本当の豊かさ」とは何なのか。
この島でなら、感じられる気がします。